石原 裕次郎

男性アイドルのさきがけとも言えるのは、石原 裕次郎ではないだろうか。1950年代に日活映画を中心に歌でも活躍した。東京都知事の石原 慎太郎を兄に持ち、父は海運会社である山下汽船に勤め、裕次郎が8歳の頃、小樽支店長になり翌年には東京支店の副長となるなど、裕福な家庭に育った。中学時代はバスケットボールに熱中し、オリンピック選手を目指していたと言う。高校受験に失敗し、入学した慶應高校の予備校的な慶應義塾農業高等学校で悪友ができ、ケンカ三昧の日々を送った。その後、再びバスケットボールを始めるが、膝に大怪我をしたため断念することになる。そして17歳の頃、父の死をきっかけにまたもや酒・女・ケンカ三昧の日々を送るのであった。スタートは順調ではなかったが、芥川賞受賞者でもあった兄、慎太郎の後押しもあり1956年の『太陽の季節』に出演。その後、不良っぽいイメージが人気を呼び、一大映画スターになるのであった。